スコッツ・フィッツジェラルド、村上春樹訳『グレート・ギャッツビー』

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)



村上春樹の作品を、数冊しか読んでいないくせをして
「ハルキ?やれやれ(笑)」
なんて、浅くて恥ずかしくて、自分の読書力の無さを露呈してしまっている人っていますよね。
はい、昔のおれです。
なんとなく分かっている本読みを気取りたいために、この本を読まないことは、というかむしろ、春樹の翻訳作品を読まないことは、「趣味は読書」な人ならば、もはや罪だとすら思う。それくらい村上春樹翻訳ライブラリーにはまってる、今日この頃。




第一世界大戦も終了した、1922年。西部の田舎からニューヨークに越してきた青年ニックは、隣にすむ年若き大富豪、ギャッツビーと知り合った。

「ありがとう、オールドスポート(あなた)」
イギリス紳士のような慇懃なもの言いや、何を生業にしてここまでのしあがったのか誰も分からないという、謎めいたギャッツビーの存在は、彼が連日開く盛大なパーティーで常に注目の的だった。


ある日ニックは、ギャッツビーが一つの夢を追って行き続け、ニューヨークに渡ってきたことを本人から聞かされる。それは、ニックの友人でもあるトムとデイジー夫妻に強い関係のある、とても美しいが、危険な夢だった。





読んでいて、ギャッツビーと一緒に夢を追いかけることになったおれは、とても個人的な感想を持ってしまった。読書会のたびに、即物的な感想が出せない、自分の湿った読み方に嫌気がさすが、こと『グレート・ギャッツビー』に関しては、誰もが個人的にならざるを得ない本だと確信する。
だって、感傷でベチャベチャに湿った、ラブストーリーなんだもん。




ギャッツビーの、グレートな生き様を追ってきたからこそ、この有名な文章が、「心が動く」という意味の感動をもたらすんだな。

 ギャッツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。・・・・・・そうすればある晴れた朝に――
 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。(p325-326)

(久)