高橋哲雄『ミステリーの社会学』

ミステリーの社会学―近代的「気晴らし」の条件 (中公新書)

ミステリーの社会学―近代的「気晴らし」の条件 (中公新書)


ミステリーにかぎらず、映画や小説の楽しみには「われを忘れる」と「身につまされる」のふたつがある。
戦後「探偵小説」から名を変えた「推理小説」の探偵の多くは家族持ちの実直な職業人、生活人で、それが時代の権力に翻弄され、うっとしい話になりがちだ。つまり、「身につまされる」話。
対して戦前型「探偵小説」には素性の知れぬ遊民、流民がしきりに出没し、時には怪奇、時には笑える事件にまきこまれる。そこには「われを忘れ」させることに重点を置く作者の優しさが見える。
推理小説」の黎明が社会の底辺層を犠牲にした高度成長期と重なるとか、「探偵小説」最盛期がエンタメ以外の文章を書くとひじょーにマズイ状況であったとか、そういういろいろな状況を考えても、やっぱり私は「われを忘れ」させてくれる「探偵小説」が好きなんだなあ。

と、そんな感慨に耽れる本でした。上に書いたのは、ほんの一章のまとめと私の感想。ちょっと探偵小説贔屓にすぎるかもしれないれど。
ミステリ初心者は知識を得られ、上級者は頻出するミステリの題名や舞台にウンウンうなずける、親切な本。
「ミステリー」と「ミステリ」の用法上の違いなんて文章もある。細部にこだわるミステリー好きならではと、ちょっと笑った。


(久)